中卒の有名作家10選!中卒の受賞割合や作家になる方法をご紹介!

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中卒の有名作家10選!中卒の受賞割合や作家になる方法をご紹介!

  • 中卒でも作家になれる?

  • 中卒者が作家になる方法を知りたい

このように、作家になることに興味があるものの、「中卒という学歴がネックになるのではないか」と不安に感じる人も多いのではないでしょうか。

作家に必要なのは面白い作品を生み出せるスキルであり、学歴は関係ありません。

実際に中卒で作家になり、多くの読者を獲得して有名になった人はたくさんいます。

そこで本記事では、中卒の有名作家をご紹介します。中卒作家の経歴や成功の秘訣、中卒者が作家になる具体的な方法についても解説するので、今から作家を目指してみたいという人はぜひご覧ください。

なお、作家とは人形作家や絵本作家など芸術作品を創作する人の総称ですが、この記事では「小説家」という意味で使用しています。

中卒で作家になることはできる!文学賞の受賞も可能

作家は、なるために必要な学歴や資格などはなく、中卒も含めて誰でも目指せる職業です。

作家は小説を執筆していれば名乗れますが、ここでは「作家になる=出版社から小説を出版する」という前提で話を進めていきます。

作家になるうえで重要な能力として、「語彙力」「想像力」「構成力」の3点が挙げられます。

それぞれの能力を習得するメリットは以下の通りです。

  • 語彙力:多くの読者を引きつける表現ができる。作品に深みが増す。
  • 想像力:あっと驚くような世界観やストーリーが思いつく。読者に共感してもらえる描写が引き立つ。
  • 構成力:テンポよく読みやすい小説を執筆できる。矛盾や過不足なく物語を展開できる。

また、小説を書く際は、博識であるかどうかも重要なポイントです。幅広い分野の知識を蓄える習慣をつけることで、多彩なジャンルの物語を違和感なく描けるようになります。

こういった小説家になるうえで必要な能力や知識は、どれも学歴に関係なく持って生まれたセンスや努力次第で身につけられるのが特徴です。そのため、たとえ中卒であっても自分の頑張り次第で作家になれます。

実際に、芥川賞や直木賞といった名のある文学賞を受賞した中卒の作家が存在します。このあと、芥川賞・直木賞の受賞者のうち中卒者の割合をそれぞれご紹介するので、気になる人はご覧ください。

中卒の作家は芥川賞受賞者の中に約6.5%

これまで芥川賞に選ばれた作家の中で、中卒者の割合は6.52%です。

2024年9月時点で芥川賞を受賞した作家は184名で、そのうち12名が中卒者でした。このデータをもとに「(12÷184)×100」の式で計算して、割合を算出しています。

芥川賞作家において中卒の割合が6.52%という結果は、決して高い数値とはいえません。しかし、作家に必要な能力を習得できれば、中卒者も含めて誰でも芥川賞受賞を狙えます。

なお、芥川賞は新人作家が受賞できる文学賞です。受賞新人作家の定義は、デビュー10年以内の人と言われています。

日本文学界でも権威のある賞の一つである芥川賞を受賞すれば、作家としての知名度が上がり、さらに活躍の場を広げられるので、作家を志している人はぜひ目指してみてください。

中卒の作家は直木賞受賞者の中に約6.8%

直木賞に選ばれた作家の中で、中卒者の割合は6.83%です。

2024年7月時点で直木賞を受賞した作家は205名であり、そのうち中卒者は14人でした。このデータをもとに「(14÷205)×100」の式で計算して、割合を算出しています。

先ほど紹介した芥川賞が「芸術性を重んじた純文学小説」に贈られるのに対し、直木賞は「エンターテイメント性に富んだ大衆小説」に贈られます。対象の分野や選考基準が異なりますが、どちらも名誉ある賞です。

エンターテインメント性が重視される直木賞は、さまざまな経験を通じて自分の引き出しを増やさなくてはいけません。日常のささいな出来事も、少し見方を変えるだけで視野が広がり執筆の糧となるため、普段からアンテナを高く張りましょう。

小卒や学校に通っていない直木賞作家もいる

直木賞を受賞した作家の中には、中学校に進学しなかった人や事情により学校に通えなかった人もいます。

受賞者名最終学歴直木賞受賞作品その他の主な受賞歴
川口松太郎(かわぐちまつたろう)石浜小学校卒「鶴八鶴次郎」「風流深川唄」その他(第1回)第11回菊池寛賞第3回吉川英治文学賞
池波正太郎(いけなみしょうたろう)下谷西町小学校卒「錯乱」(第43回)第2回新鷹会賞[奨励賞]第11回吉川英治文学賞
堤千代(つつみちよ)なし「小指」その他(第11回)なし

女性初の直木賞作家となった堤千代さんは、幼少期より重い疾患を抱えており、学校に通うことができなかったため、家の中で小説を書き続けたそうです。

すべて昭和時代に活躍した作家であり、現代とは状況がやや異なるかもしれませんが、「選考基準に学歴は関係ない」という点は、昔も今も変わっていないと言えます。

 

最終学歴が「中卒」の有名な作家10選

ここからは、中卒の有名作家を10名厳選してご紹介します。
※高校を中退した作家も「中卒」に含む。

実際に作家として活躍する中卒者の経歴を知れば、成功するうえで意識すべきことや行動などが理解できるようになります。

作家を目指している中卒者は、ぜひ彼らの考え方や行動を参考にしてみてください。

西村賢太(にしむらけんた)

学歴町田市立成瀬台中学校 卒業
出身地東京都江戸川区
生年月日1967年7月12日
主な受賞歴第144回芥川賞、第29回野間文芸新人賞
代表作苦役列車」「暗渠の宿」「小銭をかぞえる

西村賢太さんは、自身の人生を色濃く反映させた作品を書き続けた私小説作家です。

西村さんは、小学5年生の時に父が逮捕されたことがきっかけで、両親が離婚。母と姉とともに千葉県船橋市に引っ越したあと、6年生になったタイミングで東京都町田市に転居しています。

中学時代の成績は、国語以外「1」ばかりだったため、当時の担任から「その学力で受験可能な高校は全寮制の学校のみだ」と言われてしまったそうです。

寮に入りたくなかった西村さんは、高校に進学せず中学卒業と同時に家を出ました。

15歳で東京鶯谷のアパートに住み、日雇い労働やアルバイトを転々とする日々。一方で、16歳の頃から古本屋に通い続け、小説家・田中英光(たなかひでみつ)の衝撃的な生涯を知ったことがきっかけで、私小説にのめり込みます。

職場での喧嘩や家賃滞納、強制退去といったトラブルを繰り返す人生を過ごしていた西村さんは、藤澤清造(ふじさわせいぞう)の私小説に強い共感を覚え、「自称・藤澤清造の没後弟子」として私小説家になろうと決意。

2003年には、同人雑誌「煉瓦」にて本格的に作家活動をスタート。「煉瓦」を退会後は、主に文芸雑誌で作品を発表し、2007年には「暗渠の宿」で第29回野間文芸新人賞、2011年には「苦役列車」で第144回芥川賞を受賞しました。

自分の好きな私小説作家の作品を枕元に置いて何度も読むのを日課にして、感性や文章能力などの鍛錬を怠らなかった西村さん。

「私小説だけを筋を曲げずにバカの一つ覚えみたいに書く」をモットーに、自分が得意とするジャンルで唯一無二の地位を確立させて成功を掴んだ作家です。

凪良ゆう(なぎらゆう)

学歴高校中退
出身地滋賀県大津市
生年月日1973年1月25日
主な受賞歴第17回本屋大賞、第10回高校生直木賞
代表作流浪の月」「汝、星のごとく

恋愛小説を多く手掛けている凪良ゆうさんも、中卒の作家です。

母子家庭で育った凪良さんは、小学6年生の時に母親が帰ってこなくなり、異変に気づいた学校担任の援助によって児童養護施設に入ります。しかし、高校1年生で自主退学したと同時に、児童養護施設も退所。

施設を出たあとは会社に就職したものの、「中卒」「施設出身」という経歴のせいか、月に7万円程度しかもらえなかったそうです。当然生活は苦しくなり、半年ほどで会社を退職したあと、アルバイトを掛け持ちして生計を立てていました。

そんな過酷な人生を歩んでいた凪良さんですが、小学生の頃から近所の小さな本屋に通うほど漫画や児童書を読むのが好きで、中学生になった頃には漫画制作にも熱心に取り組んでいました。

10年ほど創作活動から離れていたものの、30歳の時に創作熱が再熱し、2007年に「恋するエゴイスト」で作家デビューを果たします。

その後、2020年に「流浪の月」で第17回本屋大賞、2023年に「汝、星のごとく」で第10回高校生直木賞を受賞しました。

デビュー当初は、主にボーイズラブ作品を手掛けていましたが、現在は一般文芸も発表し、ファン層をさらに広げています。

凪良さんは「登場人物になりきって書く」ということを徹底しており、感情移入や共感ではなく、完全になりきるように意識してリアリティーのあるキャラクターを作り上げているそうです。

松本清張(まつもとせいちょう)

学歴板櫃尋常高等小学校 卒業
出身地福岡県企救郡板櫃村(現、北九州市小倉北区)
※広島県広島市生まれの諸説あり
生年月日1909年12月21日
主な受賞歴第28回芥川賞、第1回吉川英治文学賞
代表作或る『小倉日記』伝」「点と線」「ゼロの焦点

日本に社会派推理小説ブームを巻き起こした松本清張さんも、中卒作家の一人です。

松本さんは、現在の中学1~2年に相当する板櫃尋常高等小学校を卒業後、家庭の金銭的事情により進学しませんでした。

川北電気株式会社小倉出張所の雑用係として採用されるものの、入社から3年ほどで出張所が閉鎖となり失職。父の飲食店の経営悪化も相まって、とにかく手に職をつける仕事がしたかった松本さんは、複数の印刷所に見習いとして入り、そこで広告図案の魅力を知ります。

34歳で朝日新聞九州支社の正社員になったあと、第二次世界大戦を経て、41歳の時に賞金欲しさに「週刊朝日」主催の新人コンクール「百万人の小説」に応募。松本さんの処女作「西郷札」は三等に入選し、その年の直木賞候補となりました。

こうして42歳で遅咲きの作家デビューを果たした松本さんは、1年後に出版した「或る『小倉日記』伝」で第28回芥川賞を受賞。

47歳で作家に転身したあとも、「点と線」「眼の壁」などベストセラーを連発し、社会派推理小説ブームを起こしました。

たくさんの苦労を乗り越えて今なお愛される作家となった松本さんは、遺書に「自分は努力だけはしてきた」と記していたそうです。

どんな逆境に立たされても諦めない「努力の積み重ね」こそが、松本さんの成功の秘訣と言えます。

金原ひとみ(かねはらひとみ)

学歴文化学院高等課程 中退
出身地東京都
生年月日1983年8月8日
主な受賞歴第130回芥川賞、第27回すばる文学賞
代表作蛇にピアス」「トリップ・トラップ

デビュー直後、いきなり芥川賞を受賞して世間から大きな注目を集めた作家・金原ひとみさんも中卒者です。

金原さんは小学4年生の時に不登校になり、中学にほとんど通わないまま高校に進学します。

しかし高校も入学後すぐに辞めてしまい、その後はアルバイトをしながら12歳から始めた小説の執筆をする生活を送っていました。

そして周囲から勧められ、20歳の時にすばる文学賞に応募。2003年「蛇にピアス」ですばる文学賞を受賞し作家デビューすると、翌年には同作で芥川賞も受賞しています。

一躍文芸界の時の人となった金原さんは、2012~2018年の6年間にフランスへ移住していた過去があります。現在は日本に帰国し、移住していた時よりも執筆スピードを上げて仕事に取り組んでいるそうです。

金原さんは、その時書いている作品に感情やアイデアを全て注ぎ、執筆に出し惜しみをしないタイプ。書き終えた後「もう次は何も出てこないかも」と不安になるそうですが、一つの作品に全力投球するからこそ、読者に支持される優れた作品を生み出せるのでしょう。

柳美里(ゆうみり)

学歴横浜共立学園高等学校 中退
出身地茨城県土浦市
生年月日1968年6月22日
主な受賞歴第116回芥川賞、第3回木山捷平文学賞、全米図書賞(翻訳文学部門)
代表作家族シネマ」「ゴールドラッシュ」「JR上野駅公園口」「

小説家だけでなく、劇作家やエッセイストとしても活躍している柳美里さんも、最終学歴は中卒です。

小学生の頃からいじめを受けていた柳さんは、複雑な家庭環境なのも相まって、図書室が自分にとっての避難所のような存在だったそうです。「本の登場人物と親しくなれる」という感覚があったため、学生時代は図書室で本を読んで過ごしていました。

私立の中高一貫校に進学したものの、停学や不登校を繰り返し、高校1年生の時に退学。その後、ミュージカル劇団「東京キッドブラザース」の公演を見て衝撃を受けたのがきっかけで、16歳の時に研修生として入団しました。

しかし、自分に芝居は向いていないと感じた柳さんは、18歳で演劇集団「青春五月党」を旗揚げし、劇作家デビューを果たします。

その後、小説も手掛けるようになり、「家族シネマ」では第116回芥川賞、「ゴールドラッシュ」では第3回木山捷平文学賞、「JR上野駅公園口」では全米図書賞(翻訳文学部門)など、数々の文学賞を受賞。

作家として活躍する一方で、東日本大震災をきっかけに東北地方に通うようになった柳さんは、2015年に神奈川県鎌倉市から福島県南相馬市に移住。南相馬市在住の作家として活動するかたわら、2018年には市内にブックカフェ「フルハウス」をオープンさせ、地元住民に新たな居場所を提供しています。

柳さんは、作家業にしろカフェ業にしろ「前進できるうちは進む」という考えを大切にしており、この前向きな姿勢こそ成功の秘訣と言えます。

花村萬月(はなむらまんげつ)

学歴サレジオ中学校 卒業
出身地東京都
生年月日1955年2月5日
主な受賞歴第2回小説すばる新人賞、第19回吉川英治文学新人賞、第119回芥川賞
代表作ゴッド・ブレイス物語」「皆月」「ゲルマニウムの夜

花村萬月さんは、書き手として活躍するだけでなく、多くの新人賞で選考委員も務めた実力派作家です。

小学6年生で児童相談所に送られ、そのままキリスト教の福祉施設に入所した花村さんは、施設に併設されたサレジオ中学校を卒業し都立高校に進学します。

しかし、高校に通ったのはわずか数日ほどで、1年生の2学期に喧嘩騒ぎを起こしてしまい、そのまま退学処分に。高校中退後は、肉体労働や最末端のミュージシャン、ヒモ生活をしながら日本各地を放浪する日々を過ごしていました。

30歳を過ぎたある日、北海道旅行の道中でつけていた旅日記を旅行雑誌のコンテストに応募して佳作に選ばれたことがきっかけで、花村さんは作家を志します。

「とりあえず3年やって、駄目だったら次の仕事を探そう」という決意で作品を書き始め、同時に有名作家の文体や句読点の打ち方なども猛勉強したそうです。

こうして誕生した「ゴッド・ブレイス物語」は、第2回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビューを果たします。その後、1998年には「皆月」で第19回吉川英治文学新人賞、同年に発表した「ゲルマニウムの夜」では第119回芥川賞を受賞。

花村さんは、小説家を志す人に対して「毎日、途切れずに黙って書きなさい。ひたすら書きなさい」「とにかく書いた者が勝つ」と助言しています。

作家を目指し始めた年齢が決して早くなかったからこそ、ひたすら文章と向き合い続けた結果が今の地位を築けているのだと考えられます。

鏡貴也(かがみたかや)

学歴高校中退
出身地東京都
生年月日1979年5月22日
主な受賞歴第12回ファンタジア長編小説大賞準入選
代表作伝説の勇者の伝説」「終わりのセラフ

ファンタジー系の作品を多く手掛けているライトノベル(ラノベ)作家・鏡貴也さんも中卒者です。

元々医者を目指していた鏡さんは、家が地上げに遭い、高校3年生で退学せざるを得なくなります。退学後は、すぐに大検を取って医学部のある大学に入ろうと受験勉強を続けていたものの、2年経っても親から大学受験の許可が下りることはありませんでした。

元々親の仕事の問題が解決しなかったせいで、外出すらままならない状態が続いていた鏡さんは、「家から出られなくてもできる仕事はないか?」と考えて、小説を書き始めたそうです。

「ヘタでもダメでも、全部応募する!」と心に決め、20歳頃から各出版社の公募に投稿。自身3作目となる作品「武官弁護士エル・ウィン」で、ライトノベル作家としてデビューしました。

2カ月に1冊執筆していると言われるほどの速筆家である鏡さんは、2024年現在は「終わりのセラフ」の漫画原作者としても活躍しています。

なお、鏡さんは日頃から「人間が、人間に届ける、人間の物語」しか人は興味がないと思っているそうです。「人間が書いているかぎり、興味を持ってもらえる可能性がある」という考えが、作家として成功する大きな秘訣となっています。

村田喜代子(むらたきよこ)

学歴八幡市立花尾中学校 卒業
出身地福岡県八幡市(現・北九州市)
生年月日1945年4月12日
主な受賞歴第97回芥川賞、第25回川端康成文学賞、第7回紫式部文学賞
代表作鍋の中」「望潮」「蟹女」「エリザベスの友達

30年以上の執筆キャリアを持ち、国の栄誉機関・日本芸術院の会員にも選ばれている村田喜代子さんも、中卒作家の一人です。

村田さんは幼少期より想像力豊かで、架空のシナリオを作って「ごっこ遊び」をするのが好きな子どもだったそうです。中学卒業後、高校には進学せずに鉄工所に就職しますが、強い創作意欲は、結婚・出産を経ても薄れることはありませんでした。

子連れで地元の同人誌に参加したり、個人同人誌を発行したりして、家庭と両立させながら活動を続けていき、1976年には「水中の声」で第7回九州芸術祭文学賞を受賞します。

受賞をきっかけに、執筆活動に本腰を入れるようになった村田さんは、1985年に個人誌「発表」を創刊。1987年には「鍋の中」で第97回芥川賞、1997年には「蟹女」で第7回紫式部文学賞、1998年には「望潮」で第25回川端康成文学賞など、さまざまな文学賞を受賞しました。

村田さんの小説といえば幻想的な作風が特徴的ですが、本人は「幻想小説といえども、どこか細部で強い現実の照り返しが利いていないと、前日の夢同様に私にはつまらなく思われる」と語っています

根拠のある幻想を作り上げるためには、リアリティを突き詰めていくのが重要だと言えます。

出久根達郎(でくねたつろう)

学歴北浦中学校 卒業
出身地茨城県行方郡北浦町(現:行方市)
生年月日1944年3月31日
主な受賞歴第108回直木賞、第17回大衆文学研究賞特別賞、講談社エッセイ賞
代表作佃島ふたり書房」「昔をたずねて今を知る 読売新聞で読む明治」「本のお口よごしですが

作家兼エッセイストとして人気の出久根達郎さんは、高校に進学しなかった中卒者です。

中学校を卒業した出久根さんは、集団就職で上京して都内の古書店で働き始めます。

【集団就職とは】
かつて日本で行われていた、地方の中学・高校卒業者を集団で都市部の会社やお店などに就職させる雇用方法を指す。

古本屋は来客数もそれほど多くなく、当初は「出世できるような店じゃないな」とがっかりしたという出久根さん。しかし、忙しくないからこそ仕事中も毎日のようにたくさんの本を読めて、結果的に良い作家修行になったそうです。

1973年には独立して古書店「芳雅堂」を営みつつ、作家として文筆活動も開始。

1992年に「本のお口よごしですが」で講談社エッセイ賞、1993年に「佃島ふたり書房」で第108回直木賞、2004年に「昔をたずねて今を知る 読売新聞で読む明治」で第17回大衆文学研究賞特別賞など、数多くの文学賞を受賞しました。

現在古本屋は閉店しているものの、日本文藝家協会理事長を勤めています。

2018年に発表した「漱石センセと私」のインタビューにおいて、出久根さんは「元古本屋だから書けることもある」と語っているほど、自身の体験を作品に活かす事例も多いのが特徴です。

また、古本屋について「世に埋もれた才能や偉才を掘り出して、人々に知らせる商売である」とも言及しており、古書を取り扱うことへのプライドや責任感を持っているのが分かります。

色川武大(いろかわたけひろ)

学歴旧制東京市立第三中学校(現・東京都立文京高等学校) 卒業
出身地東京都新宿区
生年月日1929年3月28日
主な受賞歴第79回直木賞、第5回泉鏡花文学賞、第40回読売文学賞
代表作麻雀放浪記」「離婚」「怪しい来客簿」「狂人日記

色川武大さんは、複数のペンネームを使い分け、純文学作品と娯楽文学作品を手がけた中卒の作家です。

1941年に旧制東京市立第三中学校に進学した色川さんは、1943年から勤労動員として工場で働くものの、こっそりガリ版刷りのアングラ系同人誌を発行していたことがバレてしまい、無期停学処分を受けてしまいます。

1945年に終戦を迎えたあとも処分が撤回されず、そのまま中退することに。その後、かつぎ屋、闇屋など職を転々として、5年ほどアウトローの生活を送ります。

やがて、1953年に桃園書房に入社したのをきっかけに、アウトローな生活から抜け出し、1955年には「井上志摩夫(いのうえしまお)名義」で娯楽小説を書き始めます。

1961年には、本名である色川武大名義で発表した「黒い布」で第6回中央公論新人賞、1977年には「怪しい来客簿」で第5回泉鏡花文学賞、1978年には「離婚」で第79回直木賞をそれぞれ受賞しました。

また、色川さんは、過去にサイコロ博打や麻雀の腕を磨いていた経験をもとに、数々の麻雀小説を手がけています。

1969年に阿佐田哲也(あさだてつや)名義で発表した自伝的小説「麻雀放浪記」は、後に映画化されるほどの麻雀ブームをもたらしました。

晩年には、難病のナルコレプシー(発作性睡眠症)を患っていた色川さん。つらい闘病体験すらも執筆の糧にして「狂人日記」を書き上げ、第40回読売文学賞を受賞しました。

色川さんは、書著「うらおもて人生録」において、「9勝6敗を狙え。8勝7敗では寂しい。10勝を狙うと無理がでる」という名言を残しています。一生その仕事を続けていくうえで、全勝を狙うのではなく、どんな場面でも勝ち越せることが重要だと考えているそうです。

色川さん自身が長らくキャンブルの世界に身を投じていたからこそ、最終的に9勝6敗程度のスタンスが人生が安定していると考えたのでしょう。

このスタンスも作家としての成功に一役買っていると考えられます。

 

【番外編】最終学歴が「高卒」の有名な作家6選

ここでは番外編として、高卒の有名作家を6名ご紹介します。

学歴に関係なく、有名な作家の経歴やエピソードから得られることはたくさんあります。成功の極意を学んでいきましょう!

京極夏彦(きょうごくなつひこ)

学歴北海道倶知安高等学校 卒業
出身地北海道小樽市
生年月日1963年3月26日
主な受賞歴第130回直木賞、第56回吉川英治文学賞
代表作百鬼夜行シリーズ」「巷説百物語シリーズ

オカルトテイストのミステリー作品で人気の作家・京極夏彦さんは、桑沢デザイン研究所という専門学校を中退したため、最終学歴は高卒です。

中退後、京極さんは仲間と共にデザイン会社を経営していましたが、バブル崩壊の不景気により仕事が激減。そこで10年前に考えた漫画のネタを思い起こし、仕事の合間に暇つぶしとして「姑獲鳥の夏」を執筆します。

小説が完成した1994年、京極さんは「原稿用紙代やインク代だけでも稼げれば」と、ダメもとで講談社に作品を持ち込みました。

作品を受け取った編集者は完成度の高さに驚き、緊急会議を開いて出版が決定。思いがけない形で作家デビューを果たした京極さんは、以降「魍魎の匣」「百鬼夜行シリーズ」など、多くの長編小説を手掛けています。

なお、京極さんは「書き手は一生懸命読んでもらえるような工夫をするべき」というポリシーを持っており、「文章は見開きページをまたがない」をルールにしているそうです。

作品内容や文章表現だけでなく、レイアウトにまでこだわる徹底ぶりが、京極さんを成功に導いたのでしょう。

宮部みゆき(みやべみゆき)

学歴東京都立墨田川高等学校 卒業
出身地東京都江東区
生年月日1960年12月23日
主な受賞歴第105回直木賞、第41回吉川英治文学賞
代表作理由」「模倣犯」「名もなき毒」「ソロモンの偽証

心理描写に優れ、身近な社会問題をリアルに捉える作風が魅力の宮部みゆきさんは、高卒の作家です。

高校を卒業した宮部さんはOL・法律事務所で働いていた時、自分でワープロを購入します。そして、自宅で文字を打つ練習をしているとどんどん頭の中に文章が沸き上がり、しばらく続けていくうちに「自分は小説を打っている」と気づいたそうです。

その後、講談社フェーマススクール・エンタテイメント小説作法教室に通うようになり、教室仲間の勧めで新人賞に投稿を始めます。

応募しては落選するのを何度か繰り返し、1987年「我らが隣人の犯罪」で「第26回オール読物推理小説新人賞」を受賞。1989年に『パーフェクト・ブルー』で作家デビューを果たします。

そして、「理由」では第105回直木賞、「名もなき毒」では第41回吉川英治文学賞など多くの文学賞を受賞し、他にも「模倣犯」「ソロモンの偽証」といった名作を生み出しました。

2024年現在は、直木賞の選考委員を務める宮部さん。作家になって30年以上経った今でも「好きな小説を書いていると楽しいということは、ずっと変わらない」という気持ちは変わらないそうです。「執筆を楽しむ心」こそ、作家の成功に不可欠なのかもしれません。

町田康(まちだこう)

学歴大阪府立今宮高等學校 卒業
出身地大阪府堺市
生年月日1962年1月15日
主な受賞歴第123回芥川賞、第41回谷崎潤一郎賞
代表作くっすん大黒」「きれぎれ」「告白

町田康さんは、ミュージシャンという異色の経歴を持つ高卒の作家です。

中学・高校とバンド活動をしていた町田さんは、1981年にパンクロックバンド「INU」のボーカリストとして歌手デビューします。

町田さんはバンドのほとんどの楽曲で作詞を担当していたこともあり、1992年には詩集を、翌年には詩とエッセイが一体になった作品集を出版しました。

詩集を出したことがきっかけで出版社とつながりを持てた34歳の時、編集者から「小説を書いてみませんか」と言われ、小説の執筆に取り組みます。

1996年、独特の文体が特徴的な処女作「くっすん大黒」で作家デビューし、以降は音楽活動や俳優活動と並行して、作家活動に注力するようになります。

幼い頃から読書が好きだった町田さんは、作家になった今でも「書き方」だけでなく「読み方」にも重きを置いているそうです。人の作品を丁寧に読み解き、自分の感性研磨や創作に活かした経験こそ、町田さんの成功の秘訣と言えます。

浅田次郎(あさだじろう)

学歴中央大学杉並高等學校 卒業
出身地東京都中野区鍋屋横丁
生年月日1951年12月13日
主な受賞歴第117回直木賞、第10回司馬遼太郎賞、第13回柴田錬三郎賞
代表作鉄道員(ぽっぽや)」「お腹召しませ」「壬生義士伝

浅田次郎さんは、読者の心を揺さぶる作品を多く生み出し「平成の泣かせ屋」の異名を持つほど有名な高卒の作家です。

幼少期から読書好きだった浅田さんは、両親から「本なんか読んでないで外で遊べ」と言われるほど読書に熱中していました。また、気に入った小説は原稿用紙に書き写していたそうで、多感な幼少期に楽しみながら文章能力向上を図ったのも今の成功につながっています。

そして高校卒業後は、陸上自衛隊に入隊。13歳で初投稿後、さまざまな新人賞に送り続けた浅田さんは、作家になりたい気持ちはあったものの、自衛隊生活も気に入っていたといいます。

しかし、やはり作家の夢を諦めきれず、任期満了に伴い自衛隊を除隊し、小説の執筆や投稿を続けました。

アパレル会社の経営、雑誌ライターなどさまざまな職を経て、1991年に「とられてたまるか!」で念願の作家デビューを果たします。

その後、1997年に「鉄道員(ぽっぽや)」で第117回直木賞をはじめ、数々の文学賞を受賞。今ではベストセラー作家となった浅田さんですが、新人賞に30回ほど落選したそうです。

職を転々としながらも作家デビューの夢を諦めずに書き続けた結果、数々の名作を誕生させることができたと言えます。

赤川次郎(あかがわじろう)

学歴桐朋高等学校 卒業
出身地福岡県福岡市博多区
生年月日1948年2月29日
主な受賞歴第7回角川小説賞、第9回日本ミステリー文学大賞
代表作三毛猫ホームズシリーズ」「三姉妹探偵団」「悪妻に捧げるレクイエム

ユーモアミステリーを中心に、ホラー、恋愛など幅広いジャンルの小説を書いている赤川次郎さんも、高卒作家の一人です。

幼少期から物語を作るのが好きだったという赤川さん。中学時代に「シャーロック・ホームズの冒険」を読んで、人を楽しませる小説があることを知りました。

それまで漫画を描き続けていたものの、これがきっかけで小説を書き始めます。

その後、高校在学中に父親が退職し収入がなくなったため、大学進学はせずに日本機械学会に就職しました。

ある日赤川さんは、職場の同僚と一緒に作った詩集を社内で配った時、「面白いね」と言ってもらえたそうです。これがきっかけで、脚本や小説の公募に応募するようになります。

そして、テレビドラマ「非情のライセンス」のシナリオ公募に見事入選、1976年には「幽霊列車」で第15回オール讀物推理小説新人賞を受賞し、作家デビューを果たしました。

1978年に出版した「三毛猫ホームズの推理」が大ヒットしたのを皮切りに、数々の小説やエッセイを手がけ、2024年現在の著書数は650作を超えています。

赤川さんは、小説を書くうえで「読者に媚びないこと」を意識しているそうです。読者に喜んでもらうのと媚びるのは別物で、読者に媚び出してしまうと作家業が楽しめなくなってしまうと考えています

自分の好きなように書いて、たくさんの読者がついてきてくれている状況を作れるかどうかが、作家として長く活躍できる秘訣でしょう。

杉井光(すぎいひかる)

学歴高校 卒業
出身地東京都稲城市
生年月日1978年
主な受賞歴第12回電撃小説大賞銀賞
代表作神様のメモ帳」「さよならピアノソナタ」「火目の巫女

杉井光さんは「元高卒ニート」を自称するライトノベル作家です。

高校卒業直後はコンビニや雀荘でアルバイトをしていたものの、当時結成していたバンドが解散してからは働かなくなり、そのままニート生活を送っていました。

ある日、純文学作家を目指している知り合いが書いた作品を読んだことがきっかけに、「小説新人賞って道があるのか」と知った杉井さん。自分でも小説を書き始め、2006年に「火目の巫女」でライトノベル作家デビューしました。

翌年に発表した「神様のメモ帳」が2011年にテレビアニメ化されると、知名度は一気に高まり、ライトノベル作家として確固たる人気を築きます。

杉井さんは「中二病は正しく使えば作家の武器になる」という考えを持っており、今でもあえて中二心を捨てずにいるそうです。

 

中卒で作家になる方法

中卒から作家になるためには、以下の方法があります。

  • 新人賞に応募して受賞する
  • 自費出版をする
  • Webで小説を公開する
  • 出版社へ小説を持ち込む

作家は中卒者も目指せる職業ですが、積極的に作品公開や投稿をしないと誰にも才能を見つけてもらえず、デビューは難しいです。

ここからは作家になる方法を解説していきます。作家を目指している中卒者は必見です!

出版社の新人賞に応募して受賞する

作家志望の人は、出版社が主催する新人賞に応募して受賞を目指しましょう。

新人賞とは、出版社が作品を募集して、優秀な作品を決めるイベントを指します。

芥川賞・直木賞は、同人誌を含む雑誌に掲載されている作品や、書籍化されている作品が選考対象になるのに対し、新人賞はデビューを目指す作家志望者の未発表の作品のみを対象にしている場合が多いです。

ほとんどの新人賞では、「大賞」や「金賞」などを受賞すると、担当編集者がついて作家としてのデビューが確約されます。

受賞後、すぐに出版できるかどうかは作家の能力やその時の状況にもよりますが、新人賞を受賞することは中卒で作家になる最短ルートといっても過言ではありません。

新人賞への応募は、自分の今の実力を知るいい機会にもなるので、「まだ受賞できるレベルじゃないから」と尻込みせず、積極的に応募しましょう。

とは言え、新人賞は主催の出版社によって選考基準が異なります。たとえば集英社が主催している「小説すばる新人賞」はエンターテインメント性が重要視されますが、新潮社の「新潮新人賞」は純文学の作風が評価される傾向にあります。

そのため、やみくもに応募するのではなく、自分の小説の作風に合った出版社の新人賞に応募するのが大切です。

分類主催名称賞金
純文学集英社すばる文学賞100万円
純文学文藝春秋 文學界編集部文學界新人賞50万円
ノンジャンル集英社小説すばる新人賞200万円
ノンジャンル講談社小説現代長編新人賞300万円
ファンタジー新潮文芸振興会日本ファンタジーノベル大賞300万円
SF早川書房ハヤカワSFコンテスト100万円
ミステリー日本推理作家協会江戸川乱歩賞500万円
ミステリー宝島社『このミステリーがすごい!』大賞1200万円

自費出版をする

中卒者が作家を目指すなら、自費出版するのも一つの手段です。

【自費出版とは】
出版費用を自分で負担して書籍を販売することです。
自費出版を請け負っている出版社に原稿を持ち込めば、書籍化から店頭への流通までしてもらえます。

制作費はすべて自己負担となりますが、「誰でも作家としてデビューできる」「作品内容やカバーデザインの自由度が高い」など、メリットが多いです。また、作品がヒットすれば他の出版社から声がかかって、そのまま商業出版できる場合もあります。

実際に、累計200万部超えの大ヒット作となった「リアル鬼ごっこ」は、作者の山田裕介さんが自費出版したのが始まりです。発売後、瞬く間に評価が高まり、商業出版となりました。

自費出版にかかる費用は、発行部数や流通の仕組みなどによって異なりますが、1,000冊で100万〜200万円ほどが相場です。

編集や製本デザイン、販促サポートといったサービスをどこまで求めるのかで自費出版にかかる費用は変わってくるので、自費出版を検討する際は各出版社のサービス内容をよく確認しましょう。

Webで小説を公開する

Web上で小説を公開し、多くの読者を獲得して作家デビューを果たす方法もあります。

Web小説を公開する方法は以下の2つです。

  • 小説投稿サイトに投稿する
  • 自分でサイトを作成して投稿する

インターネットが主流となった現代では、Web小説の連載がきっかけで商業デビューできた作家もいます。

たとえば、「ソードアート・オンライン」シリーズの作者・川原礫(かわはられき)さんは、自身のWebサイト上でこの作品を長く連載していた過去があります。このシリーズは多くの読者から支持され、書籍化されたのはもちろん、アニメ化やゲーム化するほどの大ヒット作品となりました。

このように、作品の評判次第で人気作家になれるのも夢ではないWeb小説ですが、公開する際にいくつかのメリット・デメリットがあります。

Webで小説を公開するメリットWebで小説を公開するデメリット
自分のペースで連載できる自分で集客する必要がある
読者に直接反応をもらうことで作品のブラッシュアップがしやすい心無いコメントをもらう可能性がある
Web小説向けのコンテストに応募できる一般文芸の賞に応募できない可能性がある
出版社から声がかかりやすくなる著作権を侵害されるリスクがある

編集や校正、印刷作業などが発生する関係で原則締め切り厳守の商業出版とは異なり、Web小説は誰かに急かされることなく自分のペースで連載できるのが特徴です。

また、編集者を介さずすぐに作品が読者に公開されるので、コメントや閲覧数などで読者の反応を直接見ることができ、作品のクオリティが上がりやすいメリットもあります。

読者から心無いコメントをもらうこともありますが、作品をブラッシュアップするうえで「自分の作品を第三者に読んでもらう」のは重要なポイントです。

一方で、自分の小説を読んでもらうためには、SNSを使って宣伝したり、他のWeb小説家と積極的に交流して、その小説家の読者に認知してもらったりして、集客にも力を入れなければいけません。

さらに、「小説すばる新人賞」「新潮新人賞」といった一般文芸の賞の多くは、未発表作品が選考対象であると定められています。一度Web上に公開した作品は応募できないため、文学賞に応募する際は、新たに作品を仕上げる必要があります。

とは言え、小説投稿サイトが主催する作品コンテストも定期的に開催されており、すでに公開済みのWeb小説も選考対象に含まれている企画も存在します。

コンテストによっては、受賞作品を書籍化する可能性があるため、Web小説が作家デビュー作になるパターンも少なくありません。

出版社へ小説を持ち込む

自分の作品を出版社に直接持ち込んで、デビューを掴む方法です。出版社の編集者に直接作品を見てもらい、気に入ってもらえれば担当の編集者がついたり、作品が書籍化されたりする可能性があります。

しかし、漫画とは違って小説の場合、作家志望者の持ち込みに寛容な出版社はかなり限られているのが実情です。表向きは持ち込みOKの出版社であっても、毎日忙しい編集者が持ち込みの作品を読む余裕はありません。

そのため、読んでもらえるかも分からない持ち込みをするより、出版社が主催する新人賞に応募したほうが得策と言えます。

それでも、出版社へ持ち込みたい人は、以下の注意点を意識して失礼のない対応を心がけてください。

  • 持ち込みOKの出版社かどうか確認する
  • 出版社に直接持ち込まず、郵送やメールで原稿を送る
  • 執筆理由やターゲット層などを盛り込んだ企画書も作っておく

 

作家の専門学校やカルチャースクールに通って勉強するのもおすすめ

先述した通り、作家になるうえで学歴を問われることはありませんが、小説を書く知識やスキルは必要です。

そのため、まずは作家の専門学校やカルチャースクールに通って、基本的な文章の書き方や面白い小説を書くコツなどを学んでみるのもおすすめです。

もちろん学校に通ったところで作家になれる保証はないものの、作家のスキルを磨くことで新人賞に受賞できるレベルの作品を生み出せる可能性は上がります。

また、出版業界に精通する作家や編集者が講師を務める学校もあり、講師の推薦で作家デビューを果たすパターンもあります。

ただし、小説の専門学校に通いたい場合、中卒のままでは入学できない専門学校もあるので、事前に募集要項を確認しておきましょう。

ちなみに、専門学校やカルチャースクールに通う以外で作家について学ぶ方法は以下の通りです。

  • 日本文学が学べる大学に通う
  • 作家が経営する小説教室に通う
  • 出版社によるセミナーやイベントに参加する

作家について勉強する手段によっては、多額の費用や時間を要する場合があります。そのため、自分の生活に支障が出ない方法を選ぶようにしましょう。

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中卒で作家にはなれる!自分に合った方法で目指してみよう!

作家に必要なのは創造性や独自性、高い文章能力などであり、学歴は重要視されません。

先述した通り、中卒から作家になって活躍している人はたくさんいます。彼らの経歴や逸話を紐解けば、中卒から作家になって成功する秘訣が見えてくるでしょう。

また、作家になる方法はいくつかあります。

  • 新人賞に応募して受賞する
  • 自費出版をする
  • Webで小説を公開する
  • 出版社へ小説を持ち込む

作家になりたい中卒者は、この記事で解説した成功の秘訣を参考に、自分にとって最適な方法で作家を目指していきましょう。

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